12月21日(金曜日) 曇りのち雨 昼間、作業をしていると、映画祭実行委員長のIさんから電話。今年の映画祭のメインゲスト四銃士の一人、田中徳三監督が亡くなられたとの知らせ。87歳とはいえ、夏に元気なお姿に接したばかりだったので、驚きのあまり「エッ」と声を上げる。 正直に打ち明けよう。ぼくは今年の〔大映京都特集〕のために多くの作品を観るまで、田中徳三監督を少しバカにしていた。ぼくにとって大映京都のヒーロー監督は三隅研次であったから。研ぎ澄まされた映像を撮る三隅に対して、俳優の演技・動きを大切にする田中さんのスタイルは、ぼく的にはちょっと評価が低かったのだ。 ところが、以前本ブログにも書いたが「大殺陣 雄呂血」(1966年)を観て、その情感溢れる繊細な描写にビックリ。続けて「疵千両」(1960年)にブッ飛び。たちまちファンになってしまった。 5月半ばから映画祭本番までの三ヶ月半の間、ぼくは何度も田中監督のお宅に電話をした。そして京都で初めてお会いし、韜晦なのか天然なのかわからない、その飄々とした人柄に惹かれていった。 田中さんは、時に辛辣な発言(特に同業の監督に対して)をされることがあったが、そこにはジメジメした恨み節的印象は感じられなかった。もちろん、自分たちがいかに面白い作品を作っても、同時代の評論家たちから無視されることに対し、かつては憤りがあったに違いない。 だが、ぼくがお会いした田中監督には、若い頃はおそらくエネルギッシュで猪突猛進するようなタイプであったカツドウヤが、年を経るにしたがって身につけていった軽さと優しさがあった。 そして監督はぼくのような若輩者に対して、あくまで謙虚な態度だった。 「こんなジイサンになりたい」とぼくは思った。田中さんにサインをいただいた「大殺陣 雄呂血」のDVDは、ぼくの宝物になった。 さようなら、大映京都のカツドウヤ。田中徳三監督。貴方にお会いできて幸せでした。本当に、ありがとうございました。
by yaliusatII
| 2007-12-22 01:57
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