6月25日(水曜日) 雨 夜遅くには曇り 以前、M先生のツテで、自分がやったことのない種類のものを頼まれているという話を書きましたが、憶えてらっしゃる方はいないと思います。なにせぼく自身、いつそう書いたか思い出せないぐらいですから。 今日、その企画者というか立案した方と会いまして、正式な執筆依頼を受けました。 何をするかというとですね。能 (ただし現代能)の脚本を書くのです。 そう、能です。あの、テレビの舞台中継を観ても謡が何言ってるかわからなくて、字幕を読まなければいけなくなる、能であります。 能のことなど、「シテとワキがいる」程度しか知識がないわたくしがです。プラハにいた時、一、二度、生で上演を観たことがある程度のわたくしがです。 ヤレヤレ。とにかく、頼まれれば何でもホイホイと引き受けてしまうわが身の愚かさよ。 で、これがまたギャラがどの程度になるか、そもそも出るかどうかも怪しいという代物で。いや、プロジェクトが実現すれば、きちんとした場所でプロの能役者たちの手によって上演される……筈なのですけど。その場合でさえ、ギャラは雀の涙に決まっている。それでいて、クォリティの高いものを書くことを期待されているわけで。毎度のこととは言え、なんだかなぁ。酷い話だなぁ……。 ということで、ズスカとのアニメ原作プロジェクト、Yさんとのアニメ企画書作り、毎年の文学賞への応募、それらに加えて新たにこの能の脚本書きと、金にならないクリエイティヴな作業を四つも抱えることになったわたしは、本当に大丈夫でしょうか。 こういう場合、自分を出来得る限り精神的に追い詰めてアイディアを出すのがわたくしのスタイルですから。また血尿出すかもしれんなぁ。それ以外にも、沈みつつある映画祭という名の船をなんとか岸にたどり着かせなければいけないし。 あ、クリエイティヴではないけど金になる作業も一つ頼まれているのですが、そちらに廻す時間が……。 なんだなんだ、わしの人生、本末転倒やど。 いいや、とにかく、どれもスゴイ物作ってあっさり死んで、「惜しい人を失くした」と皆を悔やませてやらぁ。おまえら、その時になって悔やんだって遅いんやけんの。見ちょれよ。 #
by yaliusatII
| 2008-06-26 03:08
6月23日(月曜日) 久々の晴れ このところ欝気味でして。「ウーム」と思っているところに、余計落ち込むことが。 映像センターから帰ってきて、明かりのない車庫に自転車を入れた時、足の下でグシャッという感触が。かたつむりでも踏んづけたかと思い、慌てて電気を点けると、なんと小さなカニでした。 わが家は造成地の崖っぷちに建っているのですが、崖下には林といぼ地蔵とよばれる小さな社があります。弓の名手として知られた源為朝(鎮西八郎)が豊後(ぶんご。大分の旧名)に流された時、ここで白蛇を退治し、そこに建てられた社がいぼの治療に効くということで、いぼ地蔵の名がついたという由来があります。 閑話休題。 いぼ地蔵の周辺には、今はなくなったけど昔は小川とも呼べないような小さいせせらぎがありまして、子供の頃、ここにカニ(多分サワガニ)をつかまえにきていたのです。 今でもこの辺りにはカニが生きているんだ! その貴重なカニを踏んでしまった奴!! 弱々しくもがいているカニを木の下に置き、「なんとか助かってください」と祈っていたのだけど、朝見たら、やっぱり死んでいました。お墓を作って埋めようかと思いましたが、既に蟻がたかっているので、「蟻だって食べ物がいるよな」と、そのままにしておき。 アーッ、ほんとスマンことした。「許しちくりぃ」とは言わないけど。ちょっと泣きたくなりました。 #
by yaliusatII
| 2008-06-24 01:29
6月19日(木曜日) 強い雨のち曇り ぼくはショッピングや新しい物を買うことに興味がないので、今使っている携帯は数年前に購入した Docomo 211i という、今では生産中止となった(らしい)機種である。(下写真) 当時、年に一回、数週間だけ一時帰国していたので、日本滞在中に使えるようプリペイドカード用機種であるこれを買ったのだ。その一年後、DOCOMOはプリペイドカード・システムをやめた。(笑) 二年前に完全帰国し、電話会社へ契約を交わしに行った時、この機種は既に市場では珍しかったようで、担当の人に「どこでこれを手に入れました?」と訊かれた。(笑) 一応かけるのには使っているが、メールは打つのが面倒くさいのでほとんど受信オンリー。(返信はもっぱら「了解」or「ありがとう」のみ) インターネットに接続できるかどうかは知らない。当然カメラ機能はついていないし、あのなんとかいう図象コードを読み取ることもできない。 とはいえ、最近電池が古くなってきたのか、充電する頻度が高くなったが、それ以外はとくに不便を感じていないので、買い換えるつもりはない。 ところが今日一瞬だけ、「この古い機種じゃ、ちょっと寂しいな」と思うことがあった。 それは、わが最愛のはいだしょうこお姉さんの着ボイス配信が始まったのに、この電話ではそのサービスが受けられないようなのだ。シクシク。(そもそも、着メロでさえダウンロードできないようなのだ。この機種自体はネットに接続は可能なのだろうけど、契約がネットまでカヴァーしていないのか?) もっとも、もしこの携帯で着ボイスがダウンロードできるとしても、しょうこお姉さんが「○×くん、元気~?」と呼びかけてくれるサービスに、ぼくの名前は絶対にないのだ。 ぼくの名前はそれほど珍しいもので、昔、幼児向け番組『ロンパールーム』でうつみみどり先生が魔法の手鏡に向かって子供たちの名前を呼ぶ時、子供心に自分の名が呼ばれることは絶対にないとわかっていて、寂しかったものである。 ということで、世のお父さんお母さん、子供に珍しい名前をつけるのも考えものですよ。 携帯から話が逸れた。 でも、着信時にしょうこお姉さんのあの明るい声で、「電話ですよ~! 早く出てくださ~い!」と言われたら、わが人生も少しは楽しくなるだろうに。(笑) シクシク。 #
by yaliusatII
| 2008-06-20 04:34
6月16日(月曜日) 雨のち曇り 夜半から雨 もう少しだけKさんのことを書く。 毎日Kさんのブログを見にいっている。「もしかしたら、突然更新されるのではないか」と思いながら。4月9日が最後の更新。コメント欄を見たら、エ●チ系のスパムコメント(?)だけが増えていた。普通のコメントを寄せた方たちは、Kさんの状態を知っているのだろうか? 今恐れているのは、次にぼくがKさんと会えるのは(こういうことを書くのは不謹慎の極みだが、許して欲しい)お通夜・お葬式しかないのではということ。それって(少なくともぼくにとっては)ムチャクチャ残酷だと思う。 前回書いたけど、Kさんはもう意識がないという。そういう場合、親族以外お見舞いは許可されないのだろうか。せめて、お別れの時間をもらうわけにはいかないのだろうか。(もちろん、そんなことは自己満足でしかないのだが) ある日、仲間がぼくに言うだろう。「Kさん、亡くなったって。お通夜は何処何処で、何時から」。それって、あんまりじゃないか? 人の人生というものに払われてしかるべき、敬意や尊厳が全く感じられない。家に帰ったら、父か母から「おまえに手紙が来てたから、テーブルの上に置いといたよ」と知らされるのと同じ程度の軽さ。 人の命、人の人生って、その程度でしかないのか。 #
by yaliusatII
| 2008-06-17 03:49
6月12日(木曜日) 曇りときどき晴れ ブログにこのようなことを書いていいのかズーッと悩んでいたのだけど、自分自身の心の記録として書かせていただく。 数日前、映画の仲間Kさん(男性)の癌が脳に転移し、もはや意識がないという話を聞いた。 Kさんは去年の12月に癌治療のため入院。1月末に無事退院したので、治療は成功したとばかり思っていた。いや、おそらく本人も治療に携わった関係者たちもそう思っていたのだろう。 その後、通院して抗癌剤の投与を受けていたが、薬による副作用(髪が抜けたり、口内炎が出来たり)らしきものはないのに、とにかく体がきつくて、いつも眠いとよくこぼしていた。 治療を受けていた病院で医師にそう訴えたら、「あなたは特異体質みたいだから、しばらく抗癌剤を使うのはやめてみましょう」と言われ、投薬を中断。その後、上記のように癌が脳に転移しているのがわかったという。 Kさんは六十を過ぎて独身で、ご母堂と二人で暮らしていた。(既に過去形で書いている自分に腹が立つ) ブログをやっていたが、若かった頃に女性からふられた話をメソメソと頻繁に書いていたから、おそらく結婚したことはないのではないか。こんなことを書いては失礼だが、ぼくはKさんに自分の将来の姿を見、だからというわけでもあるが、寂しい者同士として普段から出来るだけ優しくしてあげようと思っていた。入院中、何度も携帯にメールを送っていた。そしてKさんはそれに返事をくれていた。 この春にKさんは二度目の入院をし、退院した次の日、ぼくの企画によるシネクラブO●TAの上映会「アイルランド映画特集」に来てくれた。そしてそれがぼくとKさんが言葉を交わした最後になってしまった。(過ぎたことみたいにあっさり書くなよ) 今調べたら、それは4月19日だった。最近、いくら携帯にメールを送っても返事が来なくて心配していたのだが、そういうことだったのだ。 以前にも書いたが、情けないことにぼくは中年になった今でも、人の死をどう受け止めればいいのか、よくわかっていない。 Kさんが意識なく病院のベッドに横たわっていてもぼくの生活には何の影響もない。Kさんが亡くなっても、ぼくはお通夜・葬式に出席して一日半ぐらい悲しんだ後は、これまでどおりの生活をおくるだろう。いや、それはそれで当然なのだけど、それがぼくには何だかとてつもない理不尽に感じられるのだ。ぼくはエゴイストで、自分がそのように人からあっさり忘れられることを恐れているので、そう思うのかもしれない。 Kさんとぼくはそんなに親しかったわけではない。上映会、あるいはKさんがフラリと映像センターに現れた時に、お茶をすすりながらお互い冗談を言い合う程度の仲だった。だけど、逆にそういう関係であったからこそ、Kさんの存在をあっさり忘れてしまうであろう自分に腹が立つのだ。 これが近しい友人とか、苦楽をともにした仲間というのであれば、その死の受け容れ方がまだわかるような気がするのだ。ぼくは彼/彼女のことを忘れずに、一週間にニ日ぐらいは彼/彼女のことをチラッと考えつつ生きていくだろう。しかし、ぼくの中からKさんの存在はいつか確実に薄れ、そして消える。 「それは忘却という、人間が悲しみを乗り越えてこれからも生きていくための機能であって、仕方がないことなのだ」と、大半の人は言うだろう。それはおそらく正しい。そして正しすぎるが故に腹が立つのだ。これまでにも何度か書いたが、ぼくは〔忘却〕という行為(いや行為というよりも自然の営みか)を憎む。許せない。 こういうことで悩むわしって「やっぱり偽善者だよなぁ」と思う。「そんなことはない」なんてコメントは寄せないでくださいね。そう否定されるのを待ち望んでいるみたいですから。そこまで偽善者ではない…、と信じたい。 で、偽善者の開き直りで書くけど、もし出来ることなら、病院のベッドに意識なく横たわっているであろうKさんの傍らに座り、その手をいつまでもさすっていたい。もっと仲よくなっておけばよかった、もっと優しくしてあげればよかったというぼくの思いがKさんになんとか伝わるように。いや、これもまた醜悪な自己満足でしかないのだけど。 ぼくはKさんとの思い出のよすがとなるような、一緒に写った写真さえ持ってない。 #
by yaliusatII
| 2008-06-13 01:50
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